未来ある子どもたちを応援「食堂のおばちゃん」のような存在でいたい!!
ファミコン、パチンコ、競馬、ポーカーとゲームにあふれた人生を過ごしてきたポーカー実況アナウンサー・てらこさん。てらこ流コミュニティの広げ方、今一番注力している「未来のある子どもたちのために、ポーカー業界人としてできること」とは?また、女性初心者が行きやすい海外のカジノスポットまで話を伺った。
―まず、ポーカー業界と関わった経緯について教えてもらえますか?
寺崎もともと父親が大学の英文学教授、母親がピアノ教師だったのですが、ゲームについて理解がある家庭でした。受験などのイベントの時以外は、ファミコンなどいつゲームをやっていてもいいような。
10代の頃は学校になじめず、どうやったら外の人と仲良くなれるか、というのを模索してゲーム業界誌に自分の名前を載せて文通相手を募集したんです。中学2、3年で全国にゲーム好きの友達を作り、年間1000通くらいの手紙をやり取りしていました。
―すごい数ですね。文通がはやっていた時代ですよね。
寺崎 ゲームをやっている=暗い女の子、というイメージがありました。学校の外に出てみると類友がそうやって集まってくるんですね。暗い世界から明るい世界に行った、という感じがしました。それが同世代に限らず年下もいれば年上もいました。だんだんそういうコミュニティができて、中学3年生でゲームサークルを作りました。すると全国に100人メンバーができ、オフ会も開催したのですが主催者なのに自分が最年少でした。
―その頃から人を巻き込んで何かをするのが得意だったわけですね。
寺崎 そうですね。今はその交流の仕方がアナログからデジタルに変わっただけで、その頃から変わっていないです。ポーカーはボードゲーム仲間が教えてくれて始めました。競馬もパチンコもそうなんですが、私は「付き合った男の数だけ趣味がある」んです(笑)
ゲームセンターでアルバイトしている時に競馬のゲームがあったのですが、そこで実況の真似事なんかをしていました。その店の先輩の影響もあり、競馬を極めたいと競馬講座や実況講座にも通うようになりました。
ある時、渋谷のゲームセンターのイベントで「第一回ダービー実況コンテスト」というのがあって、それに当時お付き合いしていた人と出場したところ、優勝しちゃったんです。それが後のポーカー実況にもつながっています。
―ご自身の魅力で周囲に男性が絶えない人生だったのですね。寺崎いじめられたり学校で一人で過ごした経験から、じょじょに逆の立場で「自分と同じような悩みを背負っている人がたくさんいる」ということが分かりました。高校生から大学生に上がる頃には暗い自分ではなく、オタク、コミュ障だったりする人に声をかけ、「私の前でそんな人見知りしたって無駄だから」と言って相手の心を開放して一緒にいるタイプ、人を巻き込むタイプの人間になりました。コミュニティを作るのもゲーム感覚で。そのおかげでオタクに