想像外のスピードでお金が貯まっていったんですよ!!
——まず、ポーカー業界に関わる前の話からを伺いたいです。京都の方でしたよね?
大山 京都生まれ、京都育ちです。高校3年生まで京都で、その後は海外に行きました。韓国とアメリカに留学、卒業して帰国してから貿易の仕事をしたかったので、貿易会社に入社したんですが、予想以上の激務を体験して、無理だと感じて辞めました。
その後、父の仕事を手伝いながら、ゲストハウスなど自らの事業も始めてました。
——ちなみに学生時代は、韓国や米国に留学していたんですね?
大山 そうですね。高校卒業してから韓国に3年ほど住んでました。米国は4年ほど。
——現地で勉強されていたんですよね?
大山 もちろん、きちんと卒業してますよ。アメリカのニューヨーク州にあるオールバニの大学を卒業してます。
——なぜ留学しようと思ったんですか?
大山 貿易の仕事に興味があって。英語とか韓国語、中国語も勉強していたんです。
——留学中にポーカーを知った感じですか?
大山 そうですね。ポーカーを始めたのも、アメリカに留学していた頃、友達に誘われてカジノへ行ったのがキッカケでした。
——アトランティックシティですか?
大山 違いましたね。ニューヨークのカジノでターニング・ストーン・リゾート&カジノ(インディアン自治区にあるカジノ)という小さなカジノがあって、その時に当時テレビで話題だったポーカーと出会いました。
——2000年前半ぐらいですかね?
大山 そうですね。クリス・マネーメーカー(2003年にオンラインポーカーのサイトから予選を通過してWSOPで優勝した人物)が出てきた頃、彼はテレビで話題の人でした。
——86ドルの予選から優勝賞金250万ドルを掴んだ、アメリカンドリームを体現した人ですよね!?
大山 アメリカでポーカーが流行り始めた頃でした。僕はテキサス・ホールデムポーカーを知らなかったけど、テレビを観て覚えていきましたね。学生だったので、頻繁にカジノへ行くことはないんですが、ポーカーブログ的なものは見ていて、興味を持ってました。
大学の卒業後、1ヶ月ほど休みがあったので、ポーカーで稼げるか1度やってみようと思って挑戦してみたら、わりと勝てました。だけど、大学を出てポーカーで食べていくのも変だと思って、その時はやめて、趣味として続ける道を選びました。
——あくまで遊びの延長だったんですね。
大山 そうですね。でも、そこそこ稼げたので、悪くない気分でしたけど。それよりも、ビジネスをしたい欲が勝って、帰国して貿易会社に就職しました。
しかし、仕事を始めると、会社は飲み会が多くて、飲みの席が好きじゃなかったので、結局は会社を辞めてしまいました。
その後、もう1度ポーカーに挑戦したいと思い、両親の事業を手伝いつつ、お金を貯めて、友達と2人で1ヶ月マカオでポーカーに挑戦すると、思っていた以上に勝てました。
一度帰国して、次にマカオへ行く時は目標金額を100万円に設定して、もし達成したら専業になろうと決めて、マカオへ行ってみると、再び簡単に100万円以上稼げたんです。
——当時のマカオは中国人の初心者も多く、緩くて勝ちまくれる環境でしたよね!?
大山 そうですね。あと、Wynnに行ったら大きなレートも立っていて、これならマカオドリームもあり得るなと思って、ラスベガスに関心がなくなっていきました(笑)。
——そこから本格的に、ポーカー専業として動きだし、マカオに住み始めるわけですね。
大山 そうです、部屋も借りちゃいました。この勢いで、ポーカーで事業資金を貯めようと思ってました。これが、想像外のスピードでお金が貯まっていったんですよ。
——稼ぐことを止めれない状態ですか?
大山 そんな気分でした。マカオには9ヶ月まで滞在できるんですが、9ヶ月ほど滞在して1回帰国する生活を続け、帰国している間は、日本のビジネスを手掛けてました。